コラム
【後編】明るく過ごした方がお互いに楽しい。大切に日々を慈しみながら、“日本一周旅行”の再開を夢見て サニージャーニー こうへいさん
前編では妻であるみずきさんのがんと診断されるまでの経緯や、ユーチューブ配信がお二人にとって収入面でも生きるモチベーションという意味でも欠かせない基盤であることなどをうかがいました。後編ではさらに、若くして闘病生活に入るうえでの発見や想いを、そしてこれからの夢についてもお聞かせいただきました。
がんの治療生活は先が見えないので、がんとわかると「治療費をどうしよう?」という不安を真っ先に考えるケースはとても多いようです。けれど実際は、治療以外にも生活は続くわけですから、仕事をする時間が減ると収入が減るため、生活全体のお金への不安がとても大きい…ということは、実際にがんに罹患しないと想定が及びにくいということをよく耳にします。サニージャーニーのお二人はどうだったのでしょうか。
【サニージャーニー/こうへい】 旅系カップルユーチューバー「サニージャーニー」として活動中。32歳ですい臓がんのステージ4を宣告された妻・みずきと夫・こうへいによるユニット。2022年4月に軽キャンピングカーで沖縄を皮切りに日本一周旅行を計画し、旅の模様をユーチューブで配信し評判となる。2022年11月、がんであることを動画で報告、以降チャンネル登録者数は23万人を超え、旅だけでなく現在はすい臓がんにまつわる情報発信も行いながら、持ち前の明るさを失わず治療を続ける妻を全面的に支援しつつ、コンテンツ制作を担っている。YouTubeはこちらから
旅出発前にリスク対策を講じるも、まったく想定外の事態に遭遇。役立ちそうな情報はいざというときのために知っておくべきと痛感
「僕たちもやはり、がんがわかってすぐは “お金をどうしよう?”ということを考えました。そしてすぐ、生命保険に入っていたらよかったな、と思いましたよ。旅系ユーチューバーでしたから、がんによって旅が続けられなくなったら収入が減るし、これからどれくらいお金がかかるのかのイメージが全然できませんでしたから。しかも実は日本一周を始める前に保険に入ろうか、なんて話していたのに忙しさにかまけていたり、何よりまだ若いしね、っていう感じでそのままにしてしまったんですよね…。生命保険に入っていたら、少なくとも安心につながっただろうな、と思いますよね。
備えという観点で言えば、僕らを反面教師にしてほしいな、というか 。貯蓄が充分でないのであれば、生命保険に入っておいた方がいいとは思います。こんなに若くてもがんになるのだから。不測の事態によって働けなくなるというのは誰にでも起こり得るので、そのときになってどうようと考えてもちょっと遅いな、という実感を持っています。僕らもホント、すい臓がんにみずきがかかるなんて想像すらしていなかったですし」と、こうへいさんは当時の不安な心境を振り返りながら、こうも重ねました。
「実は、僕に何かあったときに二人の生活を支えるための計画、というのはずっと念頭にあったんですよ。そうなったときにみずき一人でユーチューブをやるのは難しいよなぁ、と。でもまさか、みずきが病気になるという想定がまったくなかったんです」。
あらゆる想定をしながら社会人は生きているものですが、全然想定しない方向から物事が起きることで困難となっていくのが人生なのかもしれません。
生命保険の買取りサービスについて知ったとき、率直にどう思った?
「ちょうどそんなふうに考えていたとき、生命保険の買取りというサービスがあることを聞きました。我妻さん(ライフシオン代表)から連絡を受けた際、がん患者の生命保険を買い取ることで事業社側はどこでキャッシュポイントにするんだろう?と疑問でした。でも、その説明を聞くと“え、素晴らしいサービスだな!”と思ったんです。
簡単に言うと、売却した契約者が亡くなることで保険金が入る。それが事業社に利益となる仕組みですが、それについてネガティブな意見を言う人もいるかもしれません。ですがそういう意味なら葬儀屋さんとかも同じ仕組みですし、困っている人がいるならこういう方法でお金を得られるよ、ということをサービスとしてやろうとする、その志がすごいなと思いました。いろんなことを言われるでしょうに、精神力も意志も素晴らしいことだと素直に思いました」。
みずきさんが若くしてがんとなりお金の心配があるというニュースがメディアを賑わせていたとき、ライフシオンをはじめ、さまざまな情報がこうへいさんの元へ寄せられていました。生命保険料を払い続けることが困難になる、そんな局面も起こり得ることから生命保険の売却による資金調達方法をひとつの選択肢として、サニージャーニーのお二人にもお知らせしたかったのでした。
こうへいさんが自らの意志でやめたこととは。「何よりも妻を優先する」という決意の顕れ
がんは患者当事者だけでなく、身近で共に過ごす家族の問題でもあります。現在、家のことはすべて担っているというこうへいさんですが、パートナーががん治療を始めたことで起きた変化は他にもありました。
「家族側もそれはもちろんつらいことがありますが、そうは言っても患者が1番つらいのは間違いないこと。だから何よりも妻を優先する、と決めています。1番自分のなかで大きな意思決定というのが…。人によっては伝わりにくい話かもしれないのですが、サーフィンをやめたことです。10数年サーフィンをやってきて旅の間も続けていて、ずっと生活の中心にありました。人生を設計していくうえでサーフィンは欠かせないものだったんです。リゾートバイトをするときも波がある場所でしかやらない、と決めていましたしね。辞める必要があったのか?と聞かれれば、明確です。サーフィンをしていると常に波のことを考えてしまうので、“何よりも妻を優先したい” と思うならばいったんやめようと。もちろんやろうと思えばできるでしょうけれど、こんなに自分にとって大切なサーフィンを、誰かのためにやめるんだ、ということは僕にとってものすごく大きなことでした」。
そんなに大切なものもやめてしまって、患者を支える家族として息抜きができるのだろうか…と、少し余計な心配もしてしまうのですが、みずきさんに出逢うまで1人でなんでも自己完結でき人に執着することのなかったこうへいさんが、生まれて初めて「一緒に生きていきたい」と心から願ったのがみずきさんだったのです。
「…なので、余命宣告を受けて未来が崩れ落ちた当時は本当にショックでした」。みずきさんを何よりも優先する。このこうへいさんの決意は、がんが治ることを信じる想いそのものとも言えるのです。
時間の有限を痛感し、やりたいことはすぐに行動へ。病気を治すことに欠かせない、さまざまな力に支えられている今
動画での明るいみずきさんの姿が印象的です。こうへいさんによると、みずきさんは治療のつらさをこぼすこともほとんどなく、副作用のつらい抗がん剤治療も「治るための治療だから」と、前向きに臨み、お互い一緒にいられる時間を大事に過ごそうとしているそう。
「仮にどこかで寿命が尽きてしまったとしても、それまでは明るく過ごしていたいと以前より強く思うようになりました。時間って有限なんだな、と改めて思いました」。
「だから、やりたいことは後回しにしない。これは病気になって1番二人が大きく変化したことだと思います。それまではなんとなく後回しにすることもよくあったんですよ。やりたいことというのは、つらい治療を乗り越えるモチベーションにもなっているようです。生きる力は病気を治すことに欠かせないけれど、見えない部分で大きな力になっているんだろうな、と思いますし、それにいろんな方に支えられているんだな、と自分たちだけで実現できているのではないんだな、と思えるようにもなりました。
あと、以前はささいなことでよくケンカをしていたんですが、今はもう二人とも怒らなくなりました。元々僕は保育士をしていたこともあって、怒らないという勉強をしましたが、今一番大変な人は誰か?ということをいつも考えています」。
がんと共に生きる生活となり、いろいろの面で自ら変容を経験したこうへいさん。今改めて思うことは?
「1番の願いはみずきのがんが治ること。そして、途中となっている日本一周を完遂すること。僕たちが楽しんで、たくさんの方々が観てくれていたので、最後までやり遂げたいと思っています」。 迷いなくそう答えるこうへいさんは、同年代の一般的な夫婦よりも健康の大切やさ、不測の事態へ備えることのリアリティを痛感しながらも、今目の前のみずきさんとの夢の途中を一歩一歩着実に歩んでいるのでした。
個人は「金融リテラシー」をどこまで持てるもの?不安の多い未来に消費者ができる対策について考える
ファイナンシャルプランナー(以下FP)の黒田尚子さんと金融庁出身の起業家であるライフシオンの我妻代表が、個人にとって必要な金融リテラシーをテーマに対談しました。日頃から身近に多くの顧客事例を目にしている黒田さんの考える消費者としての責任などをお聞きしました。
黒田 尚子(くろだ なおこ)
CFP® 1級ファイナンシャルプランニング技能士 CNJ認定乳がん体験者コーディネーター 消費生活専門相談員資格。1992年立命館大学部法学部卒業。同年4月日本総合研究所に入社、FP資格取得後に同社を退社し、1998年独立系FPとして転身を図る。2009年末に乳がん告知を受け、自らの体験をもとにがんなど病気に対する経済的備えの重要性を発信する。他、老後・介護・消費者問題にも注力。聖路加国際病院のがん経験者向けプロジェクト「おさいふリング」のファシリテーター、NPO法人がんと暮らしを考える会のお金と仕事の相談事業の相談員、一般社団法人患者家計サポート協会・顧問、城西国際大学・非常勤講師などを務める。
我妻 佳祐(わがつま けいすけ)
株式会社ライフシオン代表取締役。1981年山形県米沢市出身。京都大学大学院で生命保険を研究し、2006年に金融庁に入庁。保険行政を中心に金融行政に幅広く従事。2019年に金融庁を退職し、アクセンチュア株式会社で主に生命保険会社のコンサルティングに携わる。2022年に生命保険買取サービスを提供する株式会社ライフシオンを設立。京都大学大学院博士(理学)
先行きに待ち受ける未来の不安。「不安だから何もしない」から「どんなふうに対策すればいいのか」へシフトしていく必要
黒田)我妻さんは金融庁にいらしたそうですが、現在の「生命保険の買取り」事業の構想はお持ちだったのですよね?いずれは起業してご自分がこうしたサービスを始めよう、とその頃からお考えだったのですか?
我妻)大学院のときからそういうサービスがあることは知ってはいました。そのうち誰かが始めるんだろうな、と思っていたのですがなかなか現れない。民間企業に転職したタイミングで1度自分で事業をやってみたいというのはなんとなく思っていました。たまたまタイミングが合ったというのが正直なところでしょうか。
黒田さんも消費生活専門相談員の資格も取得されていて、より生活者目線でのお金の問題に向き合われていらっしゃる。
黒田)がんになる前に資格は取っていました。消費者トラブルのひとつに金融商品に関するものが多くなっていると感じるケースが増えていたので、消費者を守るために、どういった知識が必要なんだろう?と考えたのです。今ほど「人生100年」時代とは言われていなかった頃ですが、「長生きリスク」は問題視されていましたし、資産寿命を延ばすために、リスク許容度に合っていない金融商品に手を出したり、投資詐欺や金融トラブルに遭ったりする方も少なくありません。そさらに、老後は不安だけれども、とにかく、具体的にどうすればいいかわからないと感じる方もたくさんいます。「幽霊の正体見たり枯れ尾花」という諺にあるように漠然とした不安感に怯えるのではなく「どれくらいお金がかかって、どんなふうに備えればいいのか」という対策が見えれば、安心することができるものです。
FPとして、不安だから何もしない、という方々を少しでもなくしていきたい、という思いで活動しています。
我妻)わかります。先のことがわからないと個人にとって合理的な行動は「とにかく貯めこむこと」になってしまいます。これからの日本社会が取り組むべき課題としては「民間の終身年金の普及」というテーマがあると思っています。自分がいつまで生きるかは誰にもわからないので、想定より長生きしてもいいように節約・貯蓄というのが所得の少ない高齢者の基本的な行動パターンになってしまいますが、これは個人にとっては合理的なので、やめさせることは困難です。終身年金に加入することで、国民年金・厚生年金等と併せて毎月十分に生活を送っていける一生涯の所得があれば、節約や貯蓄は必ずしも合理的な選択肢にはならず、むしろ体が元気なうちに使ってしまうだとか、子や孫に贈与する、社会に寄付するなどの選択もしやすくなるでしょう。計算上は貯金を取り崩すよりも同額の終身年金に加入した方が明らかに得なのですが、日本だけではなく他の諸外国でも民間の終身年金は普及に苦しんでおり「終身年金パズル」と呼ばれて社会的に解決すべき問いのひとつと認識されています。
黒田)似たような話で言うと、例えば、医療保険は入院が長期化したときにこそ賄うものだと考えます。保険とは、「起こりうるリスクは低いけれど、起きたときに経済的に大きな損害が生じることに対して掛ける」ものだからです。確実に起きるのであれば貯蓄で賄えばいいわけですし。その観点からいえば、「日帰り入院でも支払われる」というのが本当に顧客ニーズに合致しているのか疑問です。保険の基本的な考え方からすると、免責期間を長くして保険料を抑え、長期入院の場合に保障が受けられた方が合理的だと思うわけです。
我妻)保険会社としてはそういう商品設計にしないと保険料が安くなりすぎてしまうという事情もあります。保険商品は「イザ」というときに給付を受けるためのものですから、そうでないときに給付が出るものは基本的に割高になると思うべきです。ただ、マーケティングとしてはそういう「余計な給付」がついたものの方が消費者には受け入れられているようで、リテラシーを高めることで競争の結果合理的な商品が選ばれるようになれば良いなと思います。
消費者にとって必要な「金融リテラシー」とは?日本で金融教育が進まない背景から導く解決策は
黒田)そうですよね。2017年3月、金融庁から「顧客本位の業務運営に関する原則」が発表されました。このなかで行政側は、これまでの法令改正などルールベースの対応ではなく、プリンシプルベースの原則を示し、金融事業者がこの原則に対して独自の方針を公表し、サービス提供の競い合いを促しています。そして、それが結果として国民の安定的な資産形成につなげていくという施策です。2021年1月の改訂時には、顧客のライフプラン等を踏まえた商品の提案などが追加されましたし、金融庁が求める金融事業者の自発的な流れに期待したいところなのですが、実際には、なかなか…。
やっぱり、金融商品やサービスを提供される消費者側にそれが自分にとって適切かどうか見極める目がある程度ないと難しいのかなと思っていたりします。日頃いろいろなお客様とお話をしている身からすると、消費者はもっと自分で金融リテラシーを高める努力をすべきですし、金融事業者はもっときめ細やかにリスク許容度を計るべきです。これらが双方向にならないと金融事業者もよい商品をつくらないので、どっちもどっちという(笑)。消費者保護は本当に難しい問題と感じています。
我妻)もちろん金融リテラシーはあるに越したことはないのですが、忙しい現代人にとってまた勉強しなければならないことが増えるというのは大変なことだとも思っています。金融庁時代の上司が「働き盛り世代は投資のことを考えていられるほどヒマじゃない」といっていたのが印象に残っていて、本当に必要な知識に絞って、負担をなるべく減らすことも重要だと思っています。また、そもそも金融は難しく、たとえば「日本人すべてに高校レベルの三角関数を理解させられますか?」というのと同じ話で、まず無理ですよね。政府が「貯蓄から投資」や「一億総株主」というのを本当に目指すのであれば、リテラシーが低い人でも金融サービスを使えるようにする、ということが重要なのだと考えています。では、具体的にどうするのかと言えば、FPさんに丸投げでいいのではないかと。
これはお世辞で言っているわけではなく、実際、アメリカではCFPが簡単な登録で顧客の資産を1億ドルまで限定的に運用できるRIAという制度があります。日本でもやっていけばよいのでは、と思ったりします。そうすれば金融リテラシーとして「株式」「債券」を教える必要すらなくなり、究極的には「インデックス型投資信託」と「つみたてNISA」「iDeCo」だけ知っておけば十分という考え方もアリなのではないかと思います。
黒田)なるほど。確かに「金融なんて勉強しても理解できないから、勉強するくらいなら年間手数料を払って丸投げしてやってもらう」というのは合理的で現実的な解決策です(苦笑)。そうなると、ここはやはり私たち独立系FPの力量が問われてきますよね。でもそこにもまた課題があって、日本FP協会の調査によるとFP事務所などで働く独立系FPの数は1割にも満たないですし、首都圏と地方ではFPの人数自体まったく異なります。
最近、お客さまから、「どこに行けば独立系FPに相談できますか?」や「FPさんはどうやって選べば良いですか?」というご質問を受けることも増えてきましたが我妻さんの「FP丸投げ論」で言うなら、FP自身が独立系でやっていけるスキルとキャリアを磨いていかなければとならない、という問題もあるのです。
我妻)アメリカの事例での「FP丸投げ」だと手数料は1%程度になりますから、預り資産額が10~20億円くらいにならないとFPが生活していけないということにもなりますしね。
情報に踊らされて一喜一憂しない主体性が消費者にも問われる。「なぜそれが必要なのか?」は最低限個人でも考えていこう
黒田)結局、我妻さんが先におっしゃった「最低限必要な金融リテラシー」で言うと、無理して勉強するのではなく、とにかく信頼がおけて、見合った成果を出してくれる金融サービスなどを利用すべき、というのが今の段階の正解かもしれませんね。
我妻)だと思います。実際のところ、これから「貯蓄から投資」をしてもらいたい投資の初心者が買ってもよい投資商品はインデックス型投資信託しかないので、信頼するFPさんと、個人の人生設計(ライフプラン)に合わせていくら買うかを決めていくということになるでしょう。
黒田)なるほど。それはまさに、金融リテラシーから一歩踏み込んだ「金融ケイパビリティ」の能力になるでしょうね。金融リテラシーが「知識」に焦点をあてているとすると、金融ケイパビリティは、「行動」に着目した、すでに欧米でも広まっている考え方です。日本では、まだあまりなじみがありませんが、金融リテラシーとして習得した金融の知識を持って、さらに金融にまつわる実践を踏むことが金融ケイパビリティに繋がるとされています。
それから、お客さまと接していて最近よく感じるのが、保険にしろ投資にしろ「何(WHAT)を買うか」ではなく、「なぜ(WHY)それを買うのか」を理解していないとダメ、ということです。お客さまに商品選定の理由をお聞きすると、「ネット上で、おすすめの商品としてランキングされていたから」や「セールスの人に強く勧められたから」というケースが少なくありません。難しい「問題」に対して、つい、わかりやすい「解答」に飛びついてしまう消費者のお気持ちはわかります。しかし、よくわからないままに買って、なぜそれを買うのか?という背景を理解していないと、多少値動きしても放置しておければいいのに途中であわてて解約したり、止めてしまう方が多い。「これを買え」に踊らされず、最初の段階で「なぜそれを買うべきなのか?」を理解しておく必要性は訴えていきたいところなのです。
我妻)「なぜそれを買うのか」の回答は人生設計から逆算されて出てくるものだと思います。いわゆるゴールベース・アプローチですが、老後どのような生活を送りたいかを考え、無理なくそれを実現できる可能性の高い投資商品を買うというのが基本です。とはいえ、ふつうの人はそもそも人生設計をすること自体が簡単ではないので、FPと相談しながら一度ライフプランを立ててみて、その後は年に1回とか定期的にそのプランを見直すことで理想とする老後を迎えられるようにしていくことが重要なのだと思います。それは、「株式投資で資産を10倍にしよう」というようなものとは全く次元の異なるものですので、先ほど言ったような「金融教育で株式とはなにかを教える必要はない」というようなやや極論気味の理屈にも一理出てくると思っています。
黒田)コールベース・アプローチは、従来の市場株価がベースとなるマーケット・アプローチに対して、まさに「ライフプランありき」でアドバイスを行うFPにとっては、非常に重要な考え方です。人生の目標・ゴールと運用は関係ないといった考え方もありますし、ゴールベース・アプローチを単なる金融事業者のセールストークとして利用されるだけにとどまらないよう、消費者の金融リテラシーを向上させることは、私たちFPの社会的役割の一つだと考えています。
我妻)金融リテラシーとFPの役割についてとても有意義な議論ができたと思います。我々がなぜ金融リテラシーを高めていく必要があるのか、また、なにを学んでいくべきなのか、FP等の外部サービスをどのように活用していくべきかなど、これからも考えていきたいと思います。
我妻)本日はありがとうございました。
【対談:後編】治療もお金の問題も、「正しい情報を得る」ことが不可欠。ファイナンシャルプランナー黒田 尚子さんと考える、経済毒性の影響
前編ではがん罹患経験者ならではの視点で、お金の問題やがんと共に進む生活についてお話をうかがいました。後編ではさらにがん患者の抱える3つの悩みに着目し、患者が知るべき経済的サポートについての在り方などをお聞かせいただきます。
がん治療における副作用のひとつに「経済毒性」という概念が。身体の副作用以上に家族に影響を及ぼす
我妻)これまでお話いただいてきたなかで黒田さんが現在注力なさっている活動としては、PF(パーソナルファイナンス)教育、医療や介護、消費者問題ということでした。ライフシオンはがん患者さんの資金需要にお応えするサービスとして、「生命保険の買い取り」事業を行っていますので、もう少し「がんとお金」にフォーカスしてお話をお聞かせいただこうと思います。
黒田)4月に一般社団法人患者家計サポート協会を立ち上げました。看護師FP🄬として全国でも珍しいがん患者さんからの相談を専門に受ける黒田ちはるさんが代表理事で、私は顧問という形です。当協会でも問題視して取り組んでいますが、がん治療の「経済毒性(Financial Toxicity)」という言葉は、最近、医療者の間でも問題視されている概念を表しています。がん治療に関連する経済的な負の作用を、吐き気や脱毛などの身体的毒性と同様に、副作用の1つとして捉えているわけです。
経済毒性はひとつには支出、次に資産(収入)、そして不安感という3つの要素から成り立っていて、これによってQOL(生活の質)が低下したり、治療成績に影響し生存期間が脅かされる可能性がある…とまで言われています。
一般的に、がん患者さんのお悩みには「身体的な問題」、「精神的な問題」、「社会経済的な問題」の3つがあると言われていますが、身体的な問題であれば医療者が治療してくれる。同様に、治療からくる精神面の不安定さや鬱病なども病院で手当てができますが、就労や治療費などが起因する社会経済的な問題に対してはどうでしょう。医療の進歩により、生存率が向上。治療期間が長期化したり、医療費が高額化したりしたことで、私が告知を受けたこの10年ほどで、社会経済的な問題は深刻化していると感じます。
我妻)「経済毒性」という非常に強い言葉ですが、不勉強ながら初めて知りました。患者さんは治療が長引けば収入のことも不安が解消されませんし、お金の不安があることですべてに対して影響が出るということなのですね。
黒田)そうなのです。けれど、この経済毒性については医療者の間でもまだまだ認知が充分でなく、がんをいかに治すか?メンタルのケアはどうするか?ということばかり目がいって、お金のことは「それって病院で医療者が考えるべきこと?」というスタンスの医療者も少なくありません。東京都が行った「がん医療等に係る実態調査(平成31年3月)」によると、ひとつ驚くべき結果が出ています。「がんと告知されて驚き、就労の継続をあきらめたため」と回答した人が約1割もいるのです。
これを私たちは「びっくり退職」と呼んでいます。がんになったことを悲観し、もうそんなに働けないなどの思い込みで退職した後に、安易に離職しなければ良かったと後悔するわけです。患者さんやご家族と最も接する機会の多い医療者や病院のなかでこそ、早い段階から治療と仕事の両立に対するアドバイスを行うべきです。さらには患者さんご本人だけでなく、家族も病院への付き添いやお世話、立ち合いなどで残業や出張ができずに手取りが減ります。通常のがん治療の副作用は、本人だけの問題ですが、このように、経済毒性は本人以外の家族にも影響を及ぼすといった点も重要です。
だからこそ、病院のなかで社会経済的な支援をアドバイスする受け皿が必要だと考えています。しかし、医療者はお金や社会保険の専門家ではありませんから、専門家である私たちにFPと患者さんをつなげてほしいと考えています。
がんに関わる登場人物、社会全体ががんにおけるリテラシーを向上させるべき
我妻)金融リテラシーについて話をしましたが、がんの状況も医療が日進月歩で進化しているので延命の治療ができたりと、治療期間が長期化しますよね。患者さん自身がそういった情報のリテラシーを高めていくことも欠かせないのですね。
黒田)そうですね。やはり、自分の生命がかかっているわけですから、医療者に丸投げという時代ではなくなっています。そして、患者さんやご家族だけでなく、がんになる前から、がんのこと、がん患者さんやそのご家族のことなどに関心を持ってほしいと思っています。
あと、情報に関して最近感じているのは、量と質の見極めです。私ががんに罹患した頃は「がんは情報戦」と言われていた時代。いかに自分に有益なエビデンスがある情報を入手するか?といったことが盛んに言われていました。しかし、今の患者さんは、がんの疑いがある段階から、すぐにスマホで情報を検索しようとします。それが悪いとは言いませんが、検索した情報は玉石混交で、信頼できる情報でなければ振り回されてしまうだけです。影響を受けやすいのであれば検索は控える。検索するのであれば、一番最初はたとえば国立がん研究センターなどの信頼できる情報源にアクセスすることが大切です。そして、情報があり過ぎる今は、情報をいかに入手するか?よりも、自分に不要な情報をいかに捨てるか?の方が重要なのではないかと考えています。
我妻)やはり正しい情報があってこそ、効果的にお金も使うことができるということですよね。残念なことに現在の段階では、私たちのサービスを医療者にお伝えする機会が充分ではないですから、黒田さんが立ち上げられた患者家計サポート協会のような機関を介して病院と患者さんをつなぐ、というのが理想なのかもしれません。
最後に読者の方へメッセージをお願いできますでしょうか。
黒田)がんとお金の問題はケースバイケースです。もし、今がんになってしまったら、医療費などの支出や収入などがどうなるかをイメージして、がんになる前に経済的備えをしておくことが大切です。使える公的制度についても確認しておきましょう。先進医療や自由診療など選択肢の幅を広げたいなら民間保険などを活用するのも一つです。ただ、そもそもがんになるかわからないですし、どういう状態で見つかるかも未知数。がんは早期発見でき、適切な治療が受けられれば、身体的、経済的な負担も軽減できますし、再発リスクも低減できます。経済的備えと同時に「がん予防」も重要です。また、自分が加入している保険の内容は、最低限しっかり理解しておくべきです。
我妻)ありがとうございました。私自身も大変勉強になりました。
黒田 尚子(くろだ なおこ)
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CFP® 1級ファイナンシャルプランニング技能士 CNJ認定乳がん体験者コーディネーター 消費生活専門相談員資格。1992年立命館大学部法学部卒業。同年4月日本総合研究所に入社、FP資格取得後に同社を退社し、1998年独立系FPとして転身を図る。2009年末に乳がん告知を受け、自らの体験をもとにがんなど病気に対する経済的備えの重要性を発信する。他、老後・介護・消費者問題にも注力。聖路加国際病院のがん経験者向けプロジェクト「おさいふリング」のファシリテーター、NPO法人がんと暮らしを考える会のお金と仕事の相談事業の相談員、一般社団法人患者家計サポート協会・顧問、城西国際大学・非常勤講師などを務める。
我妻 佳祐(わがつま けいすけ)
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株式会社ライフシオン代表取締役。1981年山形県米沢市出身。京都大学大学院で生命保険を研究し、2006年に金融庁に入庁。保険行政を中心に金融行政に幅広く従事。2019年に金融庁を退職し、アクセンチュア株式会社で主に生命保険会社のコンサルティングに携わる。2022年に生命保険買取サービスを提供する株式会社ライフシオンを設立。京都大学大学院博士(理学)
【対談:前編】「病気になってから初めて知る」ことを減らし、いざというときに困らないための情報発信に信念を注ぐ。ファイナンシャルプランナー黒田 尚子さん
ファイナンシャルプランナーであり、がんや介護というご自身の体験を交え「経済的備え」の大切さをセミナーや講演活動、メディアをとおして情報発信をしている黒田 尚子さん。消費者問題にも注力し、「お金とくらし」におけるオピニオンリーダーです。「くらしをもっとフェアでゆたかに」をブランドメッセージとする『Lifon Library』にて、ライフシオンの代表である我妻 佳佑との対談が実現しました。ともに「お金と金融」の専門家同士によるクロストーク前編です。
黒田 尚子(くろだ なおこ)
CFP® 1級ファイナンシャルプランニング技能士 CNJ認定乳がん体験者コーディネーター 消費生活専門相談員資格。1992年立命館大学部法学部卒業。同年4月日本総合研究所に入社、FP資格取得後に同社を退社し、1998年独立系FPとして転身を図る。2009年末に乳がん告知を受け、自らの体験をもとにがんなど病気に対する経済的備えの重要性を発信する。他、老後・介護・消費者問題にも注力。聖路加国際病院のがん経験者向けプロジェクト「おさいふリング」のファシリテーター、NPO法人がんと暮らしを考える会のお金と仕事の相談事業の相談員、一般社団法人患者家計サポート協会・顧問、城西国際大学・非常勤講師などを務める。
我妻 佳祐(わがつま けいすけ)
株式会社ライフシオン代表取締役。1981年山形県米沢市出身。京都大学大学院で生命保険を研究し、2006年に金融庁に入庁。保険行政を中心に金融行政に幅広く従事。2019年に金融庁を退職し、アクセンチュア株式会社で主に生命保険会社のコンサルティングに携わる。2022年に生命保険買取サービスを提供する株式会社ライフシオンを設立。京都大学大学院博士(理学)
がんになって初めてわかる、「治療の前からお金がかかる」現実。病気になる前の段階から知るべき大切さ
我妻)先日は弊社の「生命保険の買取り」サービスについて説明会を開催しました際は、ファイナンシャルプランナー(以下FP)の視点から鋭いご質問などいただきました。黒田さんは多方面でご活躍されていますが、もともとは日本総合研究所さんにいらしたのですよね?
黒田)そうです。新卒でSE職で勤務しました。仕事柄、システム関連の資格を取得しなくてはならないのですが、1995年にFPという資格を知りまして、もともと金融や経済に興味がありましたので在職中に資格を取りました。
仕事はやりがいがありましたし、職場環境も良かったのですが、自分自身のSEとしてのセンスがあまりにもないな…と限界を感じて会社を退職し、世界一周の旅に出て…。帰国後、時間がありますし、頻繁にFPの勉強会や懇親会に参加していたところ、先輩に声をかけてもらってFPの仕事をスタートしたという経緯です。以降は主に個人のお客様のご相談や執筆、講演をしていて、結婚、出産を経ながらFPの活動も続けていました。
我妻)黒田さんはがんサバイバーでいらっしゃるとのことですね。ご自身のがん治療の経験を現在のご活動に活かしていこうとお考えになったのには、やはり当事者としての特別な思いや体験があったのでしょうか。
黒田)そうですね。乳がんがわかったのは40歳、初めて受けた自治体のがん検診でマンモグラフィを受けたときです。今でこそ幸い再発もなく元気に暮らしていますけれど、当時子どもは5歳でしたし、5年生存率も50%ほどという状態。「こりゃ大変だ!」と。FPとして、お客さまにがん保険や医療保険の保障設計はしていますので、がんという病気は理解していたつもりでした。ところが、実際自分ががんになってみると、まったく正しく理解できてはいかなった。さらに、精密検査が進むにつれて「なんて金食い虫なんだ…!」と愕然としました。
「がんになってからお金がかかる」のではなくて、実際はがんがわかる前の診断確定から、マンモグラフィや超音波検査だけでなく、CTやMRI、骨シンチグラフィ、PETなどというように、次々と受けなければいけない検査ひとつとっても、ものすごくお金がかかるのです。これはあんまり知られていないことだと思います。
そうした不安の日々にあって、「がんと確定する前の段階の検査でこんなにお金がかかるのなら、がんが確定したら一体どれだけかかるんだろう?」と思っていたことを覚えています。それで、全摘手術を受けるために入院しているときに、「私のようにがんになった方がお金に困らないように、がんとお金の問題についてFPサバイバーとして伝えていきたい」と強く思ったのです。私が告知を受けた2009年当時は、「がんとお金」についての情報はまったくないに等しく、せいぜい高額療養費とか、医療費控除の概要出てくる程度でした。
がんになっても生活も、仕事も続けていける。そのために必要な情報をさまざまな立場の人が発信すべき
我妻)なるほど。「がんでお金がかかる」という一般に知られている以上のリアリティをお感じになったことと、FPとしての信念が相まって現在のご活動につながっているのですね。どれだけかかるから、どう備えたらいいのか。黒田さんの『がんとお金の本』は2011年に出版されています。わりとがん治療から時間を空けずに執筆されていますよね?
黒田)そうなのです。というか、ほぼ治療中に書いています。執筆しながら、術後しばらくして、がんの経済的リスクをテーマにした講演会を行うようになりました。そこで、主催者の方から「がんになって何年目くらいですか?」と聞かれるのですが、「いいえ、去年告知を受けてまだ治療中です」と言うとすごくびっくりされるのですよね(笑)。がんになっても見た目は元気だし、普通に生活や仕事をしているということに驚かれるわけです。告知を受けた当初は、家族から「がん患者なんだからパジャマを着て大人しく寝てろ」と言われたり、友人から「仕事は辞めるんだよね」とか決めつけられたりして、そうすべきなのか本当に悩みましたけど、今では、仕事を続けて本当に良かったと思っています。もちろん、個人差はありますが、がんになっても、これまでのような生活をすることができるし、仕事だってできる。人生を愉しむことを諦めなくても良いということを皆さんに知っていただきたいです。
我妻)私どもはがん患者様ヘ向けた「生命保険の買取り」サービスを行っていますが、私自身はがんになったことはないので黒田さんのお話をお聞きしますと、自分たちが思っている以上の細かい部分でお金がかかっていくのだなと想像ができます。がんの患者さんは病院ではがん相談支援センターを頼られると思いますので、私たちも医療ソーシャルワーカーさんへサービスのご案内をしているところです。やはり最前線でお金のご相談を受けていらっしゃる方々ですから、私たちが単独でご説明する以上に機会の数も多いですし、よりサービスを必要な方に出会ってもいますから。
医療関係の方々に「生命保険の買取り」がどういうもので、どういったメリットがあるのかをご理解いただいて、治療生活で経済的にお困りの患者さんへ情報が伝わるといいなと考えているところです。
有効に活用するひとつの資産として生命保険を認識する必要性。新しい選択肢となる情報こそ、専門家が理解して発信していく
黒田)がん告知を受けた直後は、まるで「洗濯機のなかに放り込まれた」かのような、グルグルとした渦に巻き込まれた状態なんですよ。とにかく、がんを治すための目の前の治療と不安感、治療費や生活費のやりくりでいっぱいいっぱい。そのような状態にあるがん患者さんやご家族が、「生命保険の買取り」という選択肢を冷静かつ適切に検討できるかどうか難しいとは思います。だからこそ、病気になる前ですよね。もし、がんになってしまったときに自分が加入している生命保険が資産のひとつであって、それを何かあったときには活用する方法があるということは、知識や情報としてぜひ知っておくべきだと思います。
FPのような専門家であっても、まだまだ「生命保険の買い取り」は知られていないでしょう。先入観から日本では成立しない、と思い込んでいる方もいるかもしれません。だからこそ私たちのような患者支援を行っているFPから、生命保険を有効活用できる資産として考えられるんだよ、ということを伝えていくべきと考えています。
我妻)ありがとうございます。大変心強いですね。
後編へつづく
【後編】がん罹患から社会復帰を果たすも、キャリアの試練に直面するサバイバー。企業の理解醸成を目指す 一般社団法人がんチャレンジャー 花木 裕介さん
ご自身ががん罹患を経験したことから一般社団法人がんチャレンジャーを立ち上げ、「がんと仕事」について広く情報発信を行う花木 裕介さん。前編では、花木さんが特に力を入れているテーマ『キャンサーロスト』(がん罹患によって失ったものやがん罹患によって生まれた挫折)についてお話をうかがいました。後編では、がん治療と就労の関係性に着目した『サバイバートラック』について教えていただきながら、「治療を終えて社会復帰ができたら終わり」とはいかない、この先も続いていく人生を自分らしい目標と共に生きていくヒントを教えていただきます。
花木 裕介さん 一般社団法人がんチャレンジャー 代表理事
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がん罹患経験者に関わる方専門の産業カウンセラー。両立支援コーディネーター。著述家。
2017年12月(38歳)のとき、ヘルスケア企業で管理職を目指すさなか、中咽頭がん告知を受け、標準治療(抗がん剤、放射線)を開始。翌8月に病巣が画像上消滅し、9月より復職。2021年2月、局所再発により標準治療(手術)を実施。現在は経過観察中。フルタイム勤務のかたわら、2019年11月に一般社団法人がんチャレンジャーを設立し「がんと仕事」をテーマに広く情報発信を行っている。著書[キャンサーロスト: 「がん罹患後」をどう生きるか」]が小学館新書より発売。
つらい治療を終えて、いざ社会復帰!しかしこれまでと同じようには働けないジレンマに遭遇するがん患者
前回お聞きした『キャンサーロスト』は、「がん罹患によって失ったものや、がん罹患によって生まれた挫折」のことを指していますが、これは一般社団法人がんチャレンジャーが考案した造語だそうです。もうひとつ、現在がんチャレンジャーで力を入れているテーマが『サバイバートラック』です。こちらはもとは『マミートラック』という、母親になった女性が産休や育休などから復職した際に、自分の意思とは関係なく職務内容や勤務時間が変わったり、その結果出世コースから外れていったりする事柄をさす言葉にヒントを得て、花木さんが考案されたオリジナルの名称です。
「マミー(mammy)は母、トラック(track)は陸上競技の周回コースのことを意味し、一度乗ってしまうと何周も同じコースをグルグル周り、抜け出せない働き方を表現しています。また、対義語的に使われている「ファストトラック」(fast track)は出世コースを意味しています」(花木さん談)
なるほど、とてもわかりやすい言葉です。がん治療から復帰後、自分の意思とは無関係に職務内容や勤務時間が変わったり、その結果社内における出世コースから外れていったりする…。残念ながらこのような『サバイバートラック』は、実際によく耳にすることです。花木さんは「実際、私自身もそれに近い状況を味わっています。さらにマミートラックと比較すると、社内に存在するがんサバイバーの数や前例も少ないことから、社内に同じ境遇の人もおらず、そういう意味での孤独感もありましたね」と当時を振り返ります。
仕事への目標を失い、生きる意欲を失わないために。職場や社会と一緒に考えていく
「いずれの場合でも共通しているのは、当事者が本来望んでいない就労状況になってしまうことです。また、マミーいわゆるお母さんであれば、組織内でもある程度どういった支援が必要となるかといったナレッジが近年できてきていますが、がんサバイバーは個々によって症状や後遺症などが多様である点も難しいところです」。意欲をもって仕事をし、キャリアアップも目標としていた方が、がんによってその先のキャリアパスを見失ってしまうことはその後の生きがいにも影響してくる重要な問題です。
がんサバイバーは治療が終了したとしても、治療で生じた副作用や後から発症する後遺症など、長期的な視点で自分の健康状態を予測することが難しくなっています。また、やりがいのある仕事から外されないように、体調が思わしくなくてもギリギリまで我慢してしまうこともあるかもしれません。同じような闘病の体験を共有できない環境では、理解者も得られず孤独になってしまうことは想像に難くありません。せっかく治療を乗り越えたのに、これまで仕事で得られていたやりがいを失ってしまうことは生きる力にも影響してしまいかねないのです。
花木さんはそうした状況からご自身で法人設立に踏み切ったことで、新たな生きがい、モチベーションを見出すことができました。一方で、「兼業や副業をはじめ、社外活動を許可する恵まれた勤務先に勤める方ばかりではないでしょう。 だからこそ、意図せぬ『サバイバートラック』が日本企業から無くなる日が来ることを願い、そのためにこの造語を広めてみたいと思っているのです」と、がんと共に働くすべての人へあたたかいまなざしを向けます。
多様な働き方が進む社会で、急ながん罹患で経済的困難に見舞われたら?新しい選択肢を歓迎
最後に、「がんと就労」に深く関係するお金の不安についてもお聞きしました。治療生活に入ると身体の状態も変化するため、安定して就労を継続することが難しくなります。時短勤務や休業など、収入の減少は非常に不安にさせるものです。
「私自身、がん罹患によって職場でのキャリアアップが難しくなったことから、金銭的な苦しさを実感した一人です。職場復帰から5年が経過しようとしている現在でも、収入は罹患前と比べて現状維持がやっとの状況であり、兼業や社団法人の運営でなんとか足りない分をカバーしようともがいています。やはり子どもを含め家族を抱えている以上、自分ががんを患っているからといって、生活費は健常者と同様にかかってくるわけですからね」。
総務省が発表した22年労働力調査で、「自分の都合のよい時間に働きたい」との理由で非正規の職員・従業員になった人は前年から22万人増え、平均で679万人となり、これは、統計がある13年以降で最多だそうです。そうした正規雇用以外のビジネスパーソンが増える社会で、急ながんの罹患者は経済的困難に見舞われる可能性もありそうです。生命保険の買取りをはじめとする、新しい選択肢が増えていくことはどう思われますか?
(参考:総務省統計局 労働力調査結果よりhttps://www.stat.go.jp/data/roudou/sokuhou/nen/dt/index.html)
「やはり経済的な面で可能性が増えることは有り難いと思いますし、そう思っているがん罹患経験者は少なくないのではないでしょうか。生命保険ではないのですが、実は私も、復職後1年経過したあたりでとにかくわずかでもいいので収入を確保しようと、手当たり次第、手元の売れそうなものを売ってお金にしていた時期があります。原付自転車、洋服、書籍など、実際売れたのはわずかでしたが、それでもいくらかでも収入の足しになることで安心できた記憶があります。
病気は、それまで計画していたライフプランを大きく変更せざるを得ない転機となりえます。加入している生命保険の存在意義が変わってしまう可能性もあるでしょう。そんなとき、ライフシオンさんのような取り組みが、各自の選択肢を広げることにつながれば、いち罹患者としてもうれしいですね」と、花木さんの実体験と共に多様な選択肢の広まりへも期待を寄せました。